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~ルル~ はじまりの物語 1/3

「―・・・今日も冷えるな」

当たり前の様な独り言を言いながら、ガラクタだらけの道を歩く。
ところどころ穴の空いた靴から入り込んでくる冷たい風が、足を余計に冷やす。
季節は冬、ただでさえ寒いと言うのに、これでは全身が凍ってしまう。
いっそ、ここら辺のガラクタに火を点けてみるべきか。

暖かいどころか、地獄の様な熱さになるだろう。
それこそ、辺り一帯が全て溶けてしまう程に。
ただでさえロクに整備されてない道だ、さぞ綺麗になることだろう。

そんな冗談めいた事を思いつつ、俺はいつもの場所へゴミ拾いに向かう。
この時間なら誰も居ない、ゆっくりと新しい靴を探す時間くらいはあるかも知れない。

その道中、ふと空を見上げる。
星という星が輝き、月が神々しく夜空を照らすそれは、壮観にして美観。
汚さが詰まりに詰まったこの場所からしてみれば、まるで別の世界だ。

・・・いや、実際別世界なのかも知れない。

―ここでは、何もかもがゴミの様に捨てられている。

それはモノだったり、死体だったり、生きている者だったり。
ゴミらしいものだったり、ゴミには見えないモノだったり。
見るからに高そうな機械だったり、安っぽいクマの人形だったり。
心があるものから、ないものまで。

その全てが、無差別に、或いは平等に、投げ捨てられて。
気付けば、大きな、とても大きな山を作っていた。

『世界のゴミ箱』
誰がはじめにそう呼んだかは解らないが、そんな不名誉な名前を付けられ、隔離されたこの場所は、美しさに程遠い。

この場所から見る壮観や美観なんてものは、きっと絵を見る様なもので。
触れる事など、出来やしないのだろうから。

「―・・・さて」
程無くして小さなゴミ山の一角にやってきた俺は、さっそくゴミを漁り始める。
ぼろぼろの軍手をして、ゴミの山を掘る。
途端に例え様の無い悪臭が漂う、鼻が良い奴なら声を上げる程のだ。

だが幸い、今の俺は鼻が悪い。
まぁ正確に言うなら、悪くされた、だろうが。
どちらにせよ、今はありがたい。
作業の時に一番辛いのは、時折こうして出てくる悪臭なのだから。

とは言え、毎度殴られるのはご免だが。
絆創膏の上から鼻をかきながら、こんな風にした奴の顔を浮かべつつ、作業を続ける。

・・・それから15分程して、目的の品は見つかった。
新品の様だ、とまでは言えないが、比較的新しめのシルバーライター。
油は当然入ってないが、傷も少なく、足りない部品も無さそうだ。
油は家にあるし、問題ない。
これで当分の暖は確保出来るだろう。
万が一付かなくとも、銀製品は金になる、今日一番のお宝には変わりない。

しかし、今の俺にとっての何よりありがたかったのは、新しい靴が見つかった事だろうか。
しかも、こちらも捨てられて間もないのか、ガラクタだらけのこの場所で、まだ白い靴。
傷も少ない、穴も空いていない。
少し洗えば使うに問題無いだろ、サイズも問題ない。
これで靴下も見つかれば最高だったが、そこまで都合の良い話も無いか。

まぁ、靴下にはアテがある。
十分な収穫だ、俺は一息ついた後、その場を後にせんとした。

・・・ガラガラガラッ

「・・・!?」

その時だ。
ゴミの山から、物音が聞こえた。
正確に言うなら、その山が崩れる音。
恐らく、崩れかけで辛うじてバランスを取っていたのが、俺が漁ったことで崩れたのだろう。
それだけの話だ、驚く事も無い。
無い、筈だったのだ。

・・・その振り向いた先に、それが無かったのなら。

「・・・子供・・・?」

崩れたゴミの山から出て来たのは、子供。
それもまだ10台に満たないかもしれない、少女が、ガラクタの山から顔を覗かせていた。
つまりは、俺がここを訪れ、山を崩すまでの間、ずっとこの中に埋もれていたと言う事になる。
その証拠と言っていい、見える範囲でも解る程に、その身体は傷だらけ。
間違い無くガラクタの破片や、それによって尖ったガラクタ本体から受けたモノだろう。
見ているこっちが痛みを感じてしまう。

とは言え、当の本人にはもう、痛みなんてものは無いかも知れない。
ガラクタに埋もれている生き物の大抵は、死体で見つかる。
その毒と刃に耐えられるのは、小さな生き物くらいだろう。
ましてや人間、生きてはいまい。

事実、少女はピクりとも動かない。
安らかな顔は、眠る様で。
誰が見ても死んでいる、そう言って疑わないだろう。

理由は知らないが此処にいる以上、彼女もまた捨てられたのだろう。
哀れみを覚えつつ、俺は少女の下へ歩み寄る。
何かの縁だ、せめて墓を作ってやろう。
真っ当な墓では無いかも知れないが、瓦礫やガラクタに埋もれたままよりはよっぽどマシだ。

そんな偽善者の様な事を思いつつ、俺はもう一度軍手を付け、少女の周りのガラクタを取り除く。
「・・・痛かったろうに」

露になればなるほど、痛々しさが増していく。
服もぼろぼろ、背中も血だらけで見るに耐えない。
さっさと済ましてしまおう、そう思う中で、俺の目は彼女の髪を見ていた。

俺が今日拾ったライターと同じ、銀色。
白とは違い、艶があり、煌びやかだ。
貴族の子供か何かだったのだろうか。
外の世界の事は良く解らないが、こんな髪の色は初めて見る。

そんな物珍しさもあった所為か、俺はつい、頭を撫でる様なカタチでその髪に触れる。
勿論、軍手を外して。

冷たい感覚が、手に伝わる。
やっぱり、死んでいる。
そう、思った矢先だった。

・・・ぴくっ

「っ・・・!?」

動いた。
死体の様な冷たい身体が、一瞬だが、確かに動いたのだ。
『生きている』
そう直感した俺は、思うまでも無く、少女の胸に手を当てる。

・・・とくん

僅かに、心臓は動いていた。
本当に僅かなそれは、今にも消えてしまいそうな程で。
きっと、それがいけなかったのだろう。
何も考えず、俺は少女を抱えて走り出していた。

~ルル~
はじまりの物語

「・・・目が覚めたか」

それから一日した朝、少女は目を開けた。
海の様な蒼い目が、まっすぐにこっちを見る。
何が起こったのか解らない、そう言いたげに。

「っ・・・!」
「馬鹿!」

やはり自分の身に起こった事を理解していないのだろう、起き上がろうと試み、そして痛みにまたベッドに倒れる少女。
当然だろう、全身を刃物で刻まれていた様なもんだ。
痛くないはずが無い、意識が戻った今なら尚更だ。

しかしながら、彼女が死に掛けていた理由は他でも無く、衰弱で。
傷自体そう深くなかったのが幸いだったのだろう、ちょっとした看病で事なきを得た。

「寝てろ・・・怪我がまだ治ってないんだ」
まだ状況が解らないのか、人の家をキョロキョロとした後、またも聞きたそうにこちらを見る少女に、俺はそう答えてやる。
だが、少女は何が解らないのか、首を傾げる。
自分の傷が見えていないとでも言うのか。
それとも、どうして傷を負ったのかが解らないのか。

「お前は、倒れてたんだ、それで、怪我をして、此処に、居る・・・解るか?」
そう身振り手振りで説明してやるも、少女はやはり首を傾げる。
相変わらずの、無言と、無表情で。
おかしい、そう思ったのはこの時だった。

ここに捨てられる人間なんてのは、赤ん坊以外の奴は大体、自分が捨てられた事なんて理解している。
その前の扱いなんてのも、嫌でも覚えてる。
この子も外見年齢から考えて、それくらいは解っているだろうし、覚えてるだろう。
それこそ、説明の必要なんて無い程に。

だと言うのに、この顔。
まさか、そう思いつつ、俺は聞く。

「お前・・・言葉が、解らないのか?」
帰ってくるのは、首を傾げるリアクション。
つまりは、そういう事だ。

『何かの冗談だろう』
そう思いつつ、その後も幾らか会話を試みるが、どれも通じず・・・
結局彼女について解ったのは、彼女が言葉を喋れないのではなく、知らないという事(声は出るらしい)と。
ボロボロの服に刺繍された『ルル』と言う名前だけだった。




「・・・眠ったか」
一方通行な話を終えた後、彼女は疲れたのか、眠りについてしまった。
疲れたのはこっちなんだけどな、と思いつつ、布団を掛けてやる。

こう見ればなんて事は無い、普通に可愛い女の子・・・だろうか。
髪の色さえ覗けば、きっとそうだ。

だが、あれは明らかに普通ではない。
言葉も解らない、感情らしいものも見えない。
まるで人形の様に、手は冷たい。

一体この子は何者なのだろうか。
そう思うと同時に、厄介なものを拾ってしまった、という後悔の念も流れた。

そもそも、うちは裕福と言うわけでも無く、むしろ貧乏な側だ。
ペット一匹すら置いておく余裕も無い中で、居候を置く事など、寿命を縮める行為に等しい。

・・・いや、俺にとって、そんな事はどうでも良いのだが。
どちらにせよ、長居させておくわけにはいかない。
幸いアテはある、明日辺り、用事を済ませるついでに相談するとしよう。
そう明日の予定を決め、俺も床に横たわり、毛布に包んで眠りに付いた。




「・・・こう、だ」
「・・・?」
「・・・違う、こうだ」

・・・翌朝の朝食時、俺はまたも驚かされていた。
この少女、ルルは言葉だけじゃなく、スプーンやフォークの使い方も知らないのだ。
年齢から考えて、覚えていて当然・・・と言うか、でなければ今までどうやってモノを食べていたのか、と言う話になる。
まぁ、素手でも食えなくは無いが・・・やはりスープやふかし芋の類なんかは道具が無いと食べ辛い。
今のこいつに至っては尚更だ。

「・・・こう、こう・・・な?」
「・・・???」

何とか身振り手振りで教えようとするが・・・相変わらずの無表情で首を傾げるばかり。
しかし、目の前にあるものがそういう道具である事は理解したらしく、ぎこちなくも握ってはくれた。
腕のほうの怪我を気にして動けなかった、と言うワケでは無さそうだ。
そして、確認の合図なのか、こちらを見る少女。

「・・・そう、それをそれに刺すんだ」
「・・・っ」

俺が指を刺してやると、目の前の皿に置かれたジャガイモをスプーンで刺し、持ち上げる。
そして・・・またこちらを見る。
どうやら彼女の中で、コレがコミュニケーションの方法だと認識したらしい。

「・・・そのままそれを・・・口に」
「・・・」

これじゃ言葉に意味が無いじゃないか。
そんな愚痴を零しつつ、見本の為に、自分のジャガイモをスプーンで分け、すくい、口へ運ぶ。
すると、彼女もそれを真似るように、スプーンでジャガイモを分け、すくい、口に入れ、ようやく咀嚼を始めた。

「・・・」
口を動かしながら、こちらを見る。
・・・やや呆れつつも、俺は頷いた。

それからもややぎこちないながらも、一口、また一口スプーンを進め、食事を終える。
一口食べさせるのに、5分はかかっただろうか。

彼女の食事を見届ける頃、せっかく暖かかったジャガイモもスープもすっかり冷めてしまっていた。
やれやれ、と溜め息を付く。

俺でさえある程度の教育は受けたし、こいつくらいの歳にはスプーンもフォークも使えたものだが。
とは言え・・・世界はきっと広いし、素手でモノを食う種族くらいは居るのかも知れない。
・・・或いは、それほど酷い所に居たのか。

結局の所、彼女が口を聞けない限り、真相が解る事は無い。
考えるだけ無駄だ、そう言い聞かせて、俺もジャガイモと野菜のスープをかきこむ様に口に運び、食事を終えた。
今日も一仕事しなくてはならない。
こいつのおかげで、やる事も増えたし。

「・・・ほら、横になれ」

ついて来る事は無いだろうが、起きていられても落ち着かない。
そう思って、俺は少女の身体をゆっくりと寝かせ、布団を掛けてやる。
自分で起き上がれたのだから、寝るのも出来るだろう、とは思ったが、起き上がる時の痛々しさを見ては、そうもいかなかった。

「・・・」
また聞きたい事があるのだろうか、こちらをじーっと見るルル。
「・・・何だ?」
答えられるなら答えたいが、と思いつつ、俺は聞く。
「・・・あ・・・うぅ・・・」
言葉・・・と呼ぶには拙い、鳴き声の様なものが帰ってきた。
だが、何故だろうか。
何が言いたいのかは、理解出来た。

「・・・そういう時は『ありがとう』って言うんだ」
それは、お礼の言葉。
当時捨て子だった俺も、恩人に交わした最初の言葉がこれだった。
だからだろう、彼女もそう言いたがっている様に見えたのだ。
「あ・・・い?」
当然、その言葉を知らない彼女が、直ぐにそれを言える筈も無く。
帰ってきたのは、やっぱり言葉とは言えない声。
だが、言おうとする意思は感じられた。

「『ありがとう』だ」
続けて、俺は教える。
「あ・・・?・・・あ・い・あ・・・ろう?」
ルルも、それに続こうと、口を動かす。
だが、初めて使うのだろうか、思うように動かない。

「あ・り・が・と・う」
「あ・り・あ・と・う」
「あ・り・が・と・う」
「あ・り・が・と・う」

互いの言葉が合ったのは、それから4度目だった。
教える側も覚える側も、初めてにしては上出来なんじゃないだろうか。
「そうだ・・・良く出来たな」
そんな、比べる相手もいない事に喜びを感じながら。
無意識に、俺は少女の頭を撫でていた。
親心・・・と言う奴だろうか。

いやいや、と俺は直ぐに否定する。
血も繋がっていない上に、まだ会って(拾って)1日だ。
そんな感情が芽生えるなんて、単純にも程があるだろう。
それとも、俺が思う以上に、俺は単純だとでも言うのだろうか。

「ありあとう!ありあとう!」
「・・・ありがとう、な」
「ありがとう!」

解らない、解らない・・・が。
この感情を『喜び』と呼ぶ以外の術を、俺は知らない。

だからと、悪い気分で無いのも事実で。
無表情にお礼を言う彼女が、何だか笑っている様に見えて。
俺もつい微笑み返していた。




悪魔だ、悪魔が来たぞ。

聞き取れない量の罵声と、避けきれない程の破片や石が飛び交う道を歩く。
それらは全て、俺に向けられたモノ。

たまに当たる、痛みだってある、当然血も出る。
それでも、連中に躊躇いの字は無い。
奴等にすれば、やってる事は悪魔退治だ。
躊躇う理由など、あろう筈も無い。

『世界のゴミ箱』
誰がはじめにそう呼んだかは解らないが、そんな不名誉な名前を付けられた、この場所で。
俺と言う存在は、さらにゴミの様に扱われていた。

不吉な紅い目を指してか、それとも年齢に不相応な白髪を指してなのか。
もしくは両方なのかも知れない、『悪魔の様だ』と誰かが言った。
それが始まり。

暴力と暴言は、際限無く行われた。
死んでも構わない、いっそ殺してしまえ、そんな風に。
同じ人間に対して行われるそれを、連中は悪魔退治だと言う。
あの医者に拾われなかったら、俺はとっくに退治(ころ)されていただろう。
それ程の重傷を、その日は負わされた。

それが治ってからも、その次も、今に至るまで、それは続いている。
まるで楽しんでいるかの様にすら見えた。

・・・否、実際に楽しんでいるのだろう。
他の世界から謂れの無い差別と軽蔑を受けるこの場所に、八つ当たりの出来る所など限られている。
俺と言う存在が丁度良かった、と言うだけの話だ。

連中にとって、さぞ殴りやすかったに違いない。
正義感の元に行われる暴力に、躊躇や罪悪感など必要ないのだから。

だからだろう、そう思って以来、俺は正義というものが嫌いになった。
正しければ何をしても良い、そんな歪んだ思考を生み出したのだから。

そういう意味で、悪魔という呼ばれ方は気に入っていたのかも知れない。
あいつ等と同じ『人間』として死ぬくらいなら、『悪魔』として退治された方が、まだマシだ。

そう、思っていた。




「―・・・あーぁ、まーた酷くやられたね」

集落外れの診療所、とは名ばかりの、廃れた建物に入ると、聞き慣れた声が、聞き飽きた言葉で迎えてきた。
赤褐色の髪に、白衣と、何とも似合わない格好に身を包むこの女が、この廃屋の主。
言いたくは無いが、俺の命の恩人であり、今現在も世話になっている人物である。

「・・・まだ避けた方だ」
「はいはい、良いから座って、適当に治すから」

用件など解っている、そう言いたげに、俺の前に椅子を突き出す。
まぁ、これもいつもの事なのだが、それにしたって話を聞くカタチくらい作って欲しいと思う。
いつもならこれでも良いのだが、今日ばかりはそうもいかないのだ。

そんな俺の心情など知る由も無いだろう、慣れた手つきで診療と治療の準備を始める。
こちらも見慣れたモノではあるが、何とも手早い。
尤も、彼女以外の医者を見た・・・と言うより診て貰った事が無い俺にとって、本当に彼女が早いのかなど、比べようが無いのだが。

「・・・傷はコレで良し・・・確かに今日はまだマシな方ね・・・いつもこうだと助かるんだけど」
「それは連中に言ってくれ」
「そりゃご尤もで、でもそうなると私が石投げられるわ、却下」
「・・・」

そう憎まれ口を叩きつつも、治療するその手はスムーズに進む。
とても自称ヤブ医者とは思えないその動きは、見る見るうちにいくつもの傷に薬を塗り、塞ぎ、処置を終えた。

「・・・相変わらず早いな」
「でしょ、天才医師のフィシス様って呼んでもいいのよ?むしろ呼べ」
「天才・・・ねぇ」
「今度から治療費も含めて請求しようかしら」
「スイマセン」

コレで口が悪くなかったら文句も無いのだが、と思いつつ、反射的に謝罪の言葉を口にする。
コレも言いたくは無いが、俺はこの女には勝てない。
何せ、貸しが多すぎるのだ。

「んじゃ、次はいつものね」
仕切りなおす様に咳き払いをした後、そう言ってフィシスはある方向を指差す。
とは言え、俺にはそれが何かなど、とうに解ってる。
もう何度も、同じ事をしてきたのだから。

上着を脱ぎ、冷たい機械の前に立つ。
「いくよー」
それを確認したフィシスが何かのボタンを押してから数秒、機械が動く音がする。

「はい、おわり」
そう言って、フィシスは俺の上着を投げる。
どうやら終わったらしい。
相変わらず、この機械の仕組みは良く解らない。
あれで自分の体内の様子が撮れると言うのだから、不思議な話だ。

「・・・んじゃレントゲン写真が出来るまで、少し雑談でもしようか」
そう言って、背伸びをしながら椅子に体重を掛ける。
丁度良い、と頭の中の俺が言う。
重要な話を一つしなければならなかった事を、忘れてなかったワケでは無いが。

「・・・フィシス」
「うん?何よ改まって」
「・・・ここに一人、居候を置けないか?」
「・・・は?」

お前は何を言っているんだ、そんな顔が帰ってくる。
当然だ、俺自身居候を持つつもりなど無かったし、ましてや拾う事になるなど思ってもいなかった。
こいつがそう思うのも無理の無い話だろう。
そう察しつつも、俺は構わず続ける。

「この前子供を拾った」
「子供!?・・・拾ったってアンタどこから・・・?」
「ゴミの中」
「ゴミの中って・・・いや、それはまぁ聞いた事もある話だけどさぁ・・・」
「俺の所じゃ満足に食事もさせてやれない、アンタの所なら一人くらい置けるだろ、育ててやれば助手としても使える」
「・・・」

始めは疑問を浮かべた顔をしていたフィシスだったが、次第にそれが『交渉』である事を理解したのか、真剣な表情になる。
とは言え、真っ当な交渉かと言えば、そうではない。

「・・・断るわ」
「・・・何故?」

そう言いつつも、俺はその返答を予想済みだった。

「だって、育てるって一言に言うけど、子供って、ペットじゃないんでしょ?」
「・・・ああ、人の、女の子だ」
「それを養うのは簡単じゃないし、生憎私も景気の良い方じゃないわ、メリットの無い話には乗れない」

それもその筈、彼女が言う様に、この交渉に彼女へのメリットは無いし、ましてや俺はそれに対して礼が出来る程の裕福さを持ち合わせちゃいない。
立場的に言うなら、無償奉仕をお願いしている様なもんだ。
裕福な世界でならそれが通るかもしれない、だが此処は貧困が固まって出来た様な所だ。
それが通る道理は、無い。

「―見殺しにするのか?」
「・・・」
頭の中では理解していたはずの結論。
それでも、俺は諦めないと言わんばかりに、そう口にしていた。

『ここでの交渉が不成立なら、彼女を再び捨てる』
そう割り切って来た筈なのに。

「・・・俺と一緒に居たら、そう遠くない話、その子は死ぬ・・・アンタなら解るだろ、フィシス」

脅しに似た言葉を、躊躇無く発する自分が居た。
あの少女、ルルのぎこちない『ありがとう』を思い出していた。

「・・・だからそうなる前に此処に置いてくれ、と?必死だね・・・アンタにとって、その子はそれだけ大事なのかい?」
だが、脅したから通る様な相手でも無い。
的を得た質問に、毒を添えて、フィシスは返す。

それに対しての返答を、俺は持ち合わせてはいなかった。
当然だ、自分でも解らない。
他人など、この世界において捨てるか売るかしかない。
拾うなど・・・ましてや居候にするなど、ある筈も無い、俺自身連中と同じく、そう思っていたんだから。

「・・・解らない・・・ただ・・・」
「ただ?」
「・・・あいつ・・・『ありがとう』って言ったんだ」
「・・・ありがとう?」

その中で、俺が選んだ答えは、偽り無く話す事だった。
フィシスに答えを望んでいた、のかも知れない。
自分でも持て余すこの得体の知れない感情を、或いは彼女なら理解出来るのではないか、と。

「・・・俺は他の奴みたいに、捨てられた事は覚えていても、捨てた奴の顔も覚えてない、そいつと居た頃の事もほとんど・・・だけど言える、俺は人に感謝される様な立場じゃなかった、蔑まれて、殴られて、殺されかけて、その果てに捨てられた・・・」
「・・・」
「だからきっと、初めてなんだ・・・そんな風に言われたの」

傍から見れば、あれは『言わせた』が正しいのかも知れない。
それでも、俺にはそれがアイツの本意である様に感じられたのは事実で。
必要とされた事に対し、喜びを感じた自分が居たのも、また同じく。

「・・・俺に出来る限りの事はするつもりだ・・・だから、頼む」

だから彼女が大事なのかは、解らない。
だが、その所為なのは解る。
俺はあの少女の事を、見捨てられなくなっていた。

「・・・アンタがそんな口の使い方出来るなんて知らなかったわ、こりゃお姉さん驚きだ」
「・・・」
「そんな顔しないでよ・・・少しだけ時間ちょうだい、その時には良い返事が出来ると思うから」
「!・・・本当か?」
「アタシが嘘を言った事ある?」
「・・・」

いいや、無い。
そう言おうと思ったが、小さな嘘ならゴロゴロあったのを、俺はその時思い出して、止めた。
しかし、大きな嘘を付いた事が無いのも事実で。

「・・・ありがとう」
そう、思うまでも無く、お礼の言葉を口にしていた。
「どういたしまして・・・毎度そう言ってくれると嬉しいんだけどねぇ」
まぁ可愛げ無いのが良いんだけどさ、とどこか呆れた様に笑いながら付け加え、席を立つフィシス。
向かうのは、先ほどの機械の場所。
恐らくレントゲン写真とやらが出来たのだろう。

「おまたせ、出来たわよ」

案の定、間も無くして写真を持ったフィシスが帰ってくる。
そして、それをそのまま白い板に貼り付けて、灯りを照らす。
すると、黒く薄いプラスチックの板の様なモノから白いもやの線が浮かび上がり、あっと言う間に一つの形を作っていく。

もはや何が?と聞くまでも無い。
先ほど撮った、俺の体内写真だ。

骨まで透けて見えるそれは、自分の物で無い様。
当然だろう、誰だって、自分の体内なんて見慣れちゃいないんだから。

だが、俺は違った。
一瞬はそう思えても、『それ』が直ぐに自分の体内だと、理解出来た。
さっき撮ったから、とか言う下らない話じゃない。

「・・・相変わらずだな」

レントゲンにおいて体内を示す白い絵の中で、一際目立つ、黒い、モヤの様な何か。
素人目に見えるのが骨と肺くらいしかない筈の中で、それは確かな存在感を放っている。
まるで、別の生き物に見えるそれが、皮肉にも、その写真を俺のモノである事を何より証明していた。

「相変わらず・・・じゃないわよ、こいつ、日に日に大きくなってるもの・・・今回の薬も効果無しだ」
そう言って、以前撮った写真を出すフィシス。
・・・確かにその黒い奴は、ほんの僅かだが、大きくなっていた。

「・・・胸が苦しくなる事、多くなってない?」
「・・・ああ、増えた」
「悪化の一途か・・・」
少女を抱えて家までの距離を全力疾走した時の事が、頭に浮かぶ。

あの時、何度呼吸が止まりかけた事か。
トリガーとなったのはそれだろうが、走り過ぎて息が上がったのとは違う、思わず胸を押さえる程の息苦しさ。
いっそ殺してくれとでも思う位だった。

「・・・フィシス―」
次の薬の配分を考えているのだろう、悩む様な表情を浮かべるフィシスに視線を合わせ、問う。
「―医者から見て、俺は後どの位生きれる?」
「・・・アンタねぇ・・・」
それは、生かそうとする医者からすれば、諦めの様な言葉にも聞こえただろう。
フィシスの表情が、一変する。

「居候残して、死ぬつもりか?」
若干の男口調で、フィシスが問い返す。
コイツがそうなる時は、大体怒りが混じっている時だ。
「違う、足掻ける時間が知りたいんだ」
「・・・」

だからと言うワケでは無いが、俺は即答する。
いつ楽になれる?と言う意図もあるけどな、と口の中で付け加えながら。
言わば半分嘘、半分本当の返答。
我ながら、上手な嘘を付いたと思う。

勿論、自分から死ぬつもりはない、助かるのなら儲けものだろう。
だが、死ぬとして、俺はそれを恐れちゃいない。
きっと、喜んで受け入れるだろう。

「―教えてくれ、後どの位なんだ?」
改めて、俺は問う。

「・・・長くて一年、短ければ三ヶ月」
遅くとも早くとも、そいつはアンタの命を食い尽くす。

長い、長い沈黙の後、フィシスは辛そうな表情で、そう答えた。
死ぬのは俺なのに、まるで自分の事の様で。

驚かない自分が、何とも申し訳無く思えた。
だが、遠くない死を告げられた自分の心が、一つとして揺らがないのも事実で。

「・・・そうか」
やはりと言うべきか、この時、受け入れていた。

・・・そう。
受け入れていた、筈なんだ。


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~ルル~ はじまりの物語 2/3

「―おはよう、ディン」

細い声に、目が覚める。
開けた視界には、あの少女、ルルが居た。

「・・・おはよう、ルル」
そう、俺が返すと、にこりと笑う。

他愛の無い、朝のやり取り。
だと言うのに、なんて嬉しそうに笑うんだろう、と思った。

「いただきます」
「いただきます」

一人分の小さなテーブルの上に、二人分の食事が並ぶ。
皮肉にも少ない食事量が、丁度良かった。

「・・・おいしい」
すっかり慣れたフォーク使いでジャガイモを口に運んで、ルルはそう呟く。
「そうか」
俺がそう言うと、嬉しそうに『うん』と答える。

これも、他愛の無いやり取り。
だと言うのに、嬉しそうに笑う自分が居た。

理由は、解っている。
それは本当なら、なんら特別で無い事。
だけど、ここではありえない事だから。

家族が揃ってここに流れて来る事は、まず無い。
個人個人が捨てられ、集まって出来たこの場所で、家族だの兄弟だのは、皆義が付くだろう。

とは言え、俺自身そういう人間達を見た事が無い。
『生きていく上では、一人の方が良い』
二人分の食料を確保するのがそう簡単な事では無いのを、皆此処に来て直ぐに思い知るからだ。
俺も、そうだった。
一人で生きていくしかないと思っていたし、そこに疑問も無く、それで良いと思った。

だが今、俺はルルと一緒に居る。
ルルが、そう望んだからだ。

―あの日から、もう2ヶ月が過ぎていた。

居候の話は、断られた。
断ったのはフィシスではない、ましてや俺でもない。
居候となる、ルル本人だった。

どこで習ったのか、それとも元々知っていたのか。
首を大きく横に振ったのだ。

当然、俺は反対した。
自分と一緒に居る所を万が一でも見られたら、彼女も悪魔扱いされる。
そうなっては、あの罵声と暴力が、あの細い体に向けられるのだ、どうなるのかは想像に容易い。

それだけじゃない。
自分の中に居るこの病が、移らないとも限らない。

どちらにせよ、フィシスに付いて行った方が彼女の為だ。
そう思って、この時の彼女にも解る様に、言葉で、ジェスチャーで、伝えられる限りを伝えたつもりだ。

それでも、ルルは只管、首を横に振るだけ。
それが、頑なな拒否の表れである事は明らかだった。

・・・とは言え、無理やりにでも追い出す事は、きっと出来た。
相手は少女だ、力尽くでやるのは難しくない。
俺自身、最悪その手段も、とは考えていた。

しかし、俺もフィシスも、結局そうする事をしなかった。
否、出来なかった。

真っ直ぐとこちらを見る、あの海色の目に、その意思がどうあっても揺るがないのモノであると。
その手段を取る前から、俺たちはそう理解出来てしまったのだ。

「ごちそうさま」
「ごちそうさま・・・しょっき、わたしがあらうよ」
「ん・・・そうか」

だが、そんな心配とは他所に、何事も起こる事無く。
言葉一つ喋れなかったあの少女、ルルは驚くほど成長していた。

「きょうはフィシスのところにいくんでしょ?」
「ああ」
「じゃあ、わたしがごはんのよういするね」
「大丈夫か?」
「うん」

ぎこちなくも会話が出来るし、仕草も女の子らしくなった。
今なら誰が見ても、彼女を普通の女の子だと疑わないだろう。
その特異な頭髪と、目の色以外。

「いってきます」
「いってらっしゃい」

だが何より変わったのはきっと、顔に表情が出る様になった事だろう。
嬉しければ笑うし、嫌な時はそんな顔をする。
まだ感情豊かとまでは言えないが、二ヶ月前と比べれば一目瞭然。

人間にあって当たり前のそれが、何故彼女には無かったのかは、未だに解っていない。
だが、今後の成長が楽しみになる程に、彼女はどちらの面でも人間へと近付いていた。
たった二ヶ月で、まるで今まで得る事の出来なかったそれらを、取り戻す様に。

最近は字も覚えた、その関係から本も読む様になって、言葉遣いも日々人間らしくなっていく。
簡単な家事なら任せられる様にもなった、包丁の扱いはまだまだだが、積極的に手伝ってくれる。

目に見える程に、見ているこっちが楽しくなる程に。
その成長は留まる事を知らない。

しかし、それだけに心残りだ。

俺には、その全てを見届ける事が、出来ない。
『最短で三ヶ月』
命の刻限は、もう直ぐそこまで迫っていた。




悪魔だ、悪魔が来たぞ。

もはや見聞き慣れた、罵声とモノ投げの飛び交う道。
それらは全て、当然俺に向けられたモノ。

たまに当たる、痛みだってある、当然血も出る。
だが慣れとは別に、俺はそれを気にしちゃいなかった。

お前らが退治なんかしなくても、俺は勝手に死ぬというのに。
そんな風に考えたら、もう笑ってやりたくて。
連中の執拗さも、もう滑稽以外の何かでは無かった。

だが、その中で。
『もし、俺が死んだのなら?』
そんな不安が過ぎる事もある。

俺が死んだと気付いた後、連中はまた的を探すだろう。
理不尽な世界への怒りを、罵声と暴力に代えて、ぶつける為の。
悪と言う名の、的。

その時、特異な髪と目の所為で、俺と同じ様な差別を受けてしまわないか?
聞いた事も無い罵声と、受けた事も無い暴力を前に。
壊れて、しまわないか。

・・・もうすっかり親みたいだな。
先の事なんて、誰にも解らないと言うのに。
そんな心配ばかりが、頭の中を回っていた。

この二ヶ月で変わったのは、やはり彼女だけでは無いらしい。




「・・・思うんだけどさ」
「何だ」
「アンタ、やりかえさないのね、こんだけやられて」

溜め息交じりで俺の腕に包帯を巻きながら、フィシスは今更の気がしてならない問いをする。
しかし俺自身、現状で連中に怒りだの無いのは事実で、それに対して今まで考えなかった自分が疑問ではある。
当初は同じ人間である事に嫌悪すら感じていた、殴ってやろうと考えていた筈なのに。

とは言え、考えてしまえば、そんなの簡単で。

「・・・怪我が増えるだけだろ、そんなの」
たった、それだけの事だった。
連中に、もうそれ以上の感情なんか無くて。
強いて言うとしたら『毎度ご苦労様』と言った所だった。

「まぁ、医者としてはありがたい限りだわ」
そんな返答に、フィシスはくすくすと笑いながらそう言って、包帯を結び、処置を終えた。
何故笑うのかは解らないが、少なくともそれが、馬鹿にした笑いではない事だけは見て取れた。

「―さ・・・今日も診察といきましょ、上着脱いで」
そうして、今日も診察が始まる。
とは言っても、もうレントゲンは必要無い。
椅子も立たずに、俺はその場で上着を脱いだ。

「・・・」

途端、無言で表情を変えるフィシス。
『それ』を見ると、いつもこうだ。
考えている事も、大体予想がつく。

『今回も効果なし』だ

・・・こいつは順調に、俺の身体を喰っている。
それは遂に、俺の身体の『中』から『外』へ飛び出して。
まるで自分を主張するかの様に、俺の胸部に黒く、大きな斑点を作っていた。

レントゲンでみたモノと同じそれは、まるでこの世の物では無い様で。
それこそ『悪魔』とでも言えるかもしれない。

「・・・フィシス」
「・・・何?」
思考を遮られたのが嫌だったのか、それとも切羽詰っているのか。
恐らくはどちらもだろう、どこか棘のある返事と共に、目を合わせる。
「俺、死ぬのかな」
「・・・」

無意識に、そう問う自分が居た。
2ヶ月前まで、俺は死ぬ事なんてとうに受け入れていたと言うのに。
死にたがってすら居た、そう言っても良い位だ。

なのに、今は死ぬ事を考えたくない。
死にたくない、そう思う様になった。

原因は、とうに解ってる。
一人では、無くなったから。

「・・・ごめん」
棘を一気に折る様に、フィシスは辛そうな顔になって、謝った。
謝る事なんか、何一つ無いって言うのに。

解ってる。
発症例も無い、全く0の状態から、特効薬が生まれるなんて事、奇跡にも近い確率なんだって事。
捨てられたも同然なこの世界においては、それが当然で。

その中で、彼女がどんなに頑張ったのかを、俺は知っている。
悪魔だのなんだのと言われている自分を匿って、連中から批判を受けているのも。
医者と言う貴重な立場でなければ、とっくに俺と同じ様な扱いを受けていても不思議無い、危うい中で、それでも俺の事を診てくれた。

もう、それだけで十分なんだ。

「・・・ありがとう、フィシス」
言いたい事は山ほどあったが、まとめる所、その一言に尽きた。
謝罪に謝罪で返すのも変な話だと思ったし、これで良かったのだと思う。

「・・・やめてよ、まだ死ぬって決まった訳じゃないのに・・・」
堪える様な表情で、フィシスは辛うじて返す。
二ヶ月前なら、理解し得なかった感情。
だが、今なら解る気がする。

俺も、持っているのだから。

「その時になったら、多分言えないからな」

・・・そういう意味で、俺は変な形にでも謝っておくべきだったのかもしれない。
恐らく彼女の前では初めてだろう、笑顔を見せながら、そんな事を思った。




「おかえり」
「・・・ただいま」

家のドアを開けると、ルルが笑顔で迎えてきた。
料理の途中なのだろう、包丁を片手に。
笑顔な辺りが、何とも言えない恐怖を演出する。
勿論、本人にその意図は無いが。

「・・・また、けがしたの?」
第一声、包帯の巻かれた額を指差して、ルルは問う。
「ちょっと転んだ、大した怪我じゃない」
「・・・そっか」

じっとこちらを見つめる彼女に、俺はそう嘘を付く。
もう何度似た様な嘘を付いたか、解らない。
だが、まだ疑う事を知らない彼女相手には、それで十分だった。

ルルはまだ、外の世界を知らない。
正確に言うなら、この家の周りの事しか知らない。
知らない様に、した。

だから、俺とフィシス以外の人間を、きっと知らない。
人間があんな風になるのを、知らない。
知らないままの方が、良いと思った。

だが、良く考えるまでも無く、俺が死ねば、否が応でもその日は来る。
フィシスの支援があろうとなかろうと、それは変わらない。

それを解りながら、俺は今の今まで、ルルに外の世界を見せなかった。
理由は、もはや言うまでも無い。

だが、何時までもそうしては居られない。
早ければ一月後、俺は命を落とすのだ。
否、それですら希望的観測で。
だからこそ、伝えられる事は、今伝えなければ――

「・・・どうしたの?」
「っ・・・!」

考え事に夢中になっていた所為だろう、ルルの言葉が耳に届いていなかったらしい。
視界いっぱいに映るまで、ルルの顔は近付いていた。
無垢な瞳が、俺の紅い目を鏡の様に映す。

まだ、何も知らない目。
人を憎んだ事が無い、澄んだ瞳。
この目も、いつか濁ってしまうのだろうか。

「やっぱり、いたいの?」
「・・・いや、大丈夫だ」
そんな、余計なお世話を思いつつ、返事をする。

「・・・よし、よし」
それに対して何を思ったのか、背伸びをして、俺の額・・・包帯のある部分を、ルルはやり辛そうに撫でる。
大方、怪我した部分が傷んだとでも思ったのだろう。

「・・・大丈夫だって」
とは言え、歳の離れた女の子にそうされるのは、若干抵抗がある。
言い辛くも、俺はそう言って、手をそっとのける。
「でも、こうすればなおるって、フィシスがいってたよ?」
すると、そう言って、またも撫でる。
お前が一度でもそうした事があるもんか。
元凶の女がにやける顔を想像しながら、俺はルルに諭す。

「・・・それじゃ人の傷は治らない」
「じゃあ、何が治るの?」
すると今度は、更に難解な質問が飛んできた。

・・・とは言え、彼女からすれば当然の質問かもしれない。
だって彼女の中で、それは何かを治す事に繋がっているのだから。
子供らしいと言うか、言われた事は鵜呑みするのだ、この子は。

その所為で、本来フォークで食べるだろうじゃがいもをスプーンで食べる癖は、未だに直っていない。
・・・まぁ、別段スプーンでも食べれないワケじゃないが、時々じゃがいもが滑って落ちるから、掃除する側としてはいただけない。

「・・・心、だろうか」

何も無い、とは答えられない。
数秒考えた後、俺は答える。

「・・・こころ?」
当然、そう返って来るだろう。
自分でもそう思ったのだ、彼女にとってはなおの事だろう。

「・・・そう、こころ」

自身の発言に若干の後悔を覚えつつ、ルルの言葉に頷いて、その頭を撫でる。
手に伝わる、柔らかい髪の触感。
相変わらず、赤ん坊みたいに繊細で、柔らかく。
ふと触れるその額は、死人の様に冷たい。

そこだけじゃない、この子は手も、足も冷たい。
これまた、死人みたいにだ。
手の冷たい人間は心が温かいなどと聞いた事があるが、ここまで冷たい人間はどうなのだろうか。
心までも、凍り付いてしまってはいないだろうか。
そんな大袈裟な心配を脳裏に過ぎらせつつ。

「・・・こうすると、落ち着くだろ?」
「・・・うん・・・あったかい」
「・・・暖かいのは手だけどな」
「ううん、ちがうの・・・ここが、あったかくなるの」
「・・・」

そう、ルルが手を添えるのは、自身の胸部。
そこに心があるかは定かじゃないが、言いたい事は良く解った。
俺の言いたい事が伝わった事も。
その心配が杞憂である事もだ。

この子は機械でもなきゃ人形でも無い。
この二ヶ月、時々はそう思う事もあったが、今は違う。

『人間』だ。

普通に喜んだり、怒ったり、哀しんだり、楽しんだり。
何でも出来る、女の子だ。
今はただ、パズルのピースが足りないだけで。

「・・・ルル、ご飯を食べたら、少し外に出ようか」
「お外?もう出てるよ?」
「いいや、もう少し外だ。」
「もう少し、外?」
「そう、もう少し―」

俺に出来るのは、そのピースを増やしてやる事だけだ。

「―もう少しだけ、遠くへ行こう」

・・・本当の意味で覚悟したのは、その時。
今までは、どこか恐れていた。

俺が死ぬと知った時、幼い彼女の心がどうなるか、俺には予測もつかなかったから。
俺が見えない所で死んだ後、フィシスの口からでも聞いてくれれば良い。
そう、どこかで思っていた。

でも、それじゃ駄目なんだと、ようやく理解した。
・・・否、覚悟した。

俺が死ぬ事を、俺がどうして死ぬのかを、ちゃんと俺の口から伝えて。
彼女の涙を、心を、見届けなきゃいけない。

例えそれが、彼女を哀しませるとしても。
俺は、伝えなきゃいけない。

一つでも多くのピースを、彼女に届ける為に。




「・・・ここだ」

自宅から約20分。
ただでさえ人目から離れた我が家の裏側方面、人一人寄り付かないその場所に、俺はルルを連れて来た。

「・・・きれい・・・」

「それ」を見た第一声、ルルは呟く。
ゴミとガラクタで出来た様なこの世界でその言葉を使うのは、多分初めての事だろう。

俺もそうだった。
そう呼べるべきものが、此処に来るまでの間、一つとしてなかったからだ。
人も、モノも、何もかも含めて、全部。

だが、漁る事すら無意味に見える程、腐り、錆びた、この世界からも『無価値』の烙印を押され、見捨てられた、屑の山々
その中心に、それはあった。

まるでそこだけ、どこからか切り取って来たかの様に広がる、緑色の大地、黄色い花の咲く草原。
そして何より目に映るのは、小さな湖を見守る様に立つ、小さな木。
人一人の視界に納まるだけの、小さな場所。

だが、それは俺たちにとって、『別の世界』と呼ぶに十分なほど、異質で、広大で。
何より、美しかった。

「どうして・・・ここだけ?」
当然の質問が、ルルの口から出る。
しかし、俺はそれに対しての返答を持ち合わせては居なかった。

何時から、どのように、どうやってこの場所が生まれたのか。
俺にこの場所を教えてくれたフィシスですら、そのどれも知らなかったからだ。
ただ、その時フィシスは言った言葉を思い出して、俺は口を開く。

「・・・元々この世界はこうした、緑の溢れる場所だったんじゃないだろうか」
「そうなの?」
「フィシスがそう言ってたのを思い出してな・・・本当の事はフィシスも、俺も知らない」
「・・・」

そう、この世界は元々、ほかの世界と変わらない様な、普通に緑のある世界で。
人の手によって、ここまで荒廃した。
あくまで推測でしか無いが、俺にはそうとしか思えなかった。

外の世界の連中にとって、ここはゴミ箱。
汚す事に、何の躊躇いも無いのだろうから。

「・・・ねぇ、ディン」
「うん?・・・なんだ?」
その言葉に何を思ったのか、数秒考えた後。
ルルは俺の方をじっとみて、問う。

「もしそうなら、それは・・・この、たくさんのゴミのせいなんだよね?」
「・・・まぁ、そうなるな」
「じゃあ、このゴミをぜんぶなくしたら・・・またもとにもどるかな?」
「・・・」

子供らしいと言えばらしい、単純で安易な言葉。
だが、それは大人の誰が考えるよりも理想的で。
そして、理想でしかない絵空事で。
俺にとっては、少し懐かしくもあった。

俺も小さな頃は、フィシスにそんな事を言って、笑われたものだ。
そんな事、あるはずも無いのに。
あの頃は、何でも出来る気がしたのだ。

「・・・そうだな、直ぐにとはいかないが・・・いずれは、な」
「ほんとう?」
「ああ」
「・・・じゃあ、わたしがんばるね」
「・・・無理しない程度にな」
「うんっ」

そんな自分を思い出したのもあっただろう、俺はそう返していた。
彼女の鵜呑みする性質を考えるなら、出来ないと言ってあげた方が良かった気もするが・・・。
出来ないと笑われて、酷く落ち込んだ自分をこれまた思い出した俺には、その選択肢が無かった。

・・・それに、ほんの少し、思ったのだ。
彼女なら、どれだけの時間が掛かるかはさておき。
いずれは、この緑を広げるのではないのか、と。

根拠も無い、確信も勿論無い。
ただ・・・この二ヶ月の間、多くの『出来ない』を『出来る』にしてきた彼女は、俺にとって可能性の塊で。
だからだろう、そんな幻想も現実に出来る。
そんな、気がしたんだ。

「・・・ルル」
「なぁに?」
「・・・大事な話があるんだ」

その可能性を、俺の所為で殺す事になってはいけない。
例えそれが、この無垢な表情を歪ませる結果になったとしても。
行こう、そう自分に言って、俺は切り出した。

「だいじな、おはなし?」
「・・・ああ」

身を斬る様な痛みが、口を開く前から走る。
ここで『何でも無い』とでも言えたら、なんて楽だろうか。
逃げ出したい、今直ぐにでも。
そんな衝動が、幾度も走る。

だが、出来ない。
これは、俺にしか出来ない事だ。

親だから、とまでは言わない。
そもそも、そんな歳じゃない。
自分の事で手一杯な俺が、彼女にしてやれた事は、余りにも少ない。
親なんかには、きっと程遠い。

ただ、俺に出来たのは、彼女の成長を見守る事だけで。
だから『それだけは』と言う・・・意地の様なモノだと思う。
見守りたいんだ、最期まで。

そんな、甘えた思考を振り払い。

「―俺は、ある病に掛かっていて・・・長くないんだ」

重い口を、俺は開いた。

「・・・やまい・・・?」

初めて会った時の様な『解らない』と言いたげな表情を見せるルル。
だが、あの時とは違う。

『病』の意味も。
『長くない』の意味も。
彼女はもう、知っている。
だから、俺の言いたい事は、多分もう伝わった筈だ。

ただ、彼女が知らないのは、表情。
今の自分の感情を、どう表現すれば良いのか、どんな表情(かお)をすればいいのか。
彼女には、解らない。

感情が処理できていない、とでも言おう。

「・・・フィシスが言うには、心臓の病だそうだ・・・―」

そう知りながら、俺は続けた。
止めてはいけない、そう何度も、自分に言い聞かせながら。
「―もう手に負えない位に大きくなっていて・・・もう直ぐ、俺の心臓を止める」
心を殺して、事実だけを告げた。

「・・・うそ・・・だよね?」

教えた事も無い、恐らくは家にあった本で知ったのだろう。
ぎこちない笑顔で、そう呟く。

だが、嘘を『知って』いても、『使った』事が無い彼女は、この場面で嘘を使う人間が居ない事を、知らない。
だから、これが冗談の類だと、思いたいし、思える。
可能性に、縋ってしまう。

・・・でも、彼女は賢い子だ。
きっと、気付いてる。
俺の命が、もう残り僅かなのを、頭ではちゃんと理解してる。

ただ、信じられないだけで。
震える両手が、何よりもそれを証明していた。

「・・・ルル、嘘はな・・・こんな大事な話で使っちゃ駄目なんだ」
その手を優しく掴んで、俺は諭す。
「!・・・」
怯える様に、顔を横に振る。
小さく、うそ、と言っているのが聞こえた。

初めて見る、彼女の困惑した表情。
胸が、ズキズキと痛む。
まるで、俺自身を責め立てる様に。

「・・・本当だ」
痛みを堪えながら俺はもう一度言った。
「・・・やだ」
「ルル―」
「やだ!・・・やだやだやだ・・・やだぁ!」

何度も、何度も何度も、ルルは首を横に振る。
二ヶ月前のあの日と同じ、頑なな拒否の表れ。
だがその表情は、あの頃とは大違いで。
今にも崩れそうな程、その表情は辛そうだった。

辛くない筈が無い。
だって、俺がこんなに辛いんだから。
彼女が人間らしさを一つ取り戻したって、何一つ嬉しくなりやしない。
ただただ、自分が傷つけたのだと・・・胸が痛くなるだけだ。

「・・・ルル」
「っ・・・!?」

そんな彼女を、見るに耐えなかったからだろう。
その両手を引いて、俺はゆっくりと、包み込む様に、ルルを抱きしめた。

「・・・ディン・・・?」
突然の事に驚いたのか、見開いた目で俺を見るルル。
「・・・ごめんな・・・ルル」
俺がそう言うと、一瞬でその表情が崩れて。
「・・・っく・・・ひっく・・・―ぁあああああ・・・っ!」

彼女は泣いた。
痛みを吐き出す様に鳴いて、ボロボロと涙を流して。
普通の、女の子みたいに。
はじめて、泣いた。

ああ、大丈夫だ。
そんな言葉が、脳裏に過ぎった。

「・・・いやだよ・・・しなないでよぉ・・・!」

目の前が、ぼやける。
折角、望むものが見れたって言うのに。
嬉しい事の筈なのに。
雨も振ってないってのに、視界がぼやけてしょうがない。

「・・・胸が痛いか?」
「いたい・・・すごく、いたいよ・・・!」
「それで良いんだ・・・今は痛くても・・・直ぐに良くなるから」
「・・・うん・・・うん・・・っ!」

その胸が痛いのは、俺がお前に想われてた、何よりの証拠だから。
そう、心の中で付け加えて。
より強い力で、ルルを抱きしめた。

ルルが泣き止むまで、ずっと。
この時間が、ずっと続いて欲しい、そう願いながら。
泣き続ける小さな彼女を、腕の中に置いていた。

だが、永遠であって欲しいと願うほど、その時間は残酷にも早く、短くて。
それこそまるで、悪魔の仕業であるかの様に。

――『その時』は、来てしまった。

「―ッ・・・!?」
心臓が一声、悲鳴を上げる。
今まで聞いた中でも、桁外れの大きさ。
だが、その箇所が同じである事に、直ぐ理解した。
発作だ、と。

「―ディン・・・?」

ルルの声に答える事も出来ず、ガクンと膝を付く。
胸を締め付ける様な感覚が襲い掛かり、呼吸すらままならない。

『このままでは』
そう思うよりも早く、無慈悲に。
俺はその場に倒れ、意識を失った。

これで終わりなのか、どんどんと暗くなる視界に思う。
だが、残り僅かな光の中で、ルルの悲痛な顔を見た時。
それは全く別のモノに変わった。

死ねない。
死んでたまるか。
そう、思った。

―思って、しまった。
・・・今思えば、それがいけなかったのだ―


~ルル~ はじまりの物語 3/3

「―フィシスっ!!!」

突然の大声と同時に聞こえる、乱暴とも言える力で、ドアを開く音。
人の家のドアに何をする、と言うよりも前に、その叫ぶ様な声に驚かされ、私はビクりと身体を振るわせた。
人が気持ちよく椅子の上でうとうととしていたと言うのに、目覚ましにでも起こされた気分だ。

とは言え、急患だと思えばこんなシーンも珍しくも無い。
頭を商売に切り替え、平静を装って、私は客のほうへ振り向いた。

だが、その矢先・・・私は更に驚かされた。
・・・否、衝撃的だった。

「ルル・・・!?」

現れたのは、ルルだった。
彼女にはこの場所の事を、教えてはいない。
と言うより、口止めされた。
ちょっとした事から、自分の病状が気付かれてはいけない、と。

それをどうやって突き止めて、此処に至ったのかは、知る由も無い。
だが、今の私の心情としては、そんなもの、些細な事だった。
だって、もう彼女にバレてるんだから。

私の住処の話じゃない。
ディンの、病状。

「たすけて・・・ディンを・・・たすけて・・・!!」

だから、私にとって衝撃的だったのは。
その小さな身体に背負われた、死んだ様に動かないディンと。
まるで別人の様に、今にも泣き崩れそうな、ルルの顔。

何でこんな事になったのか。
全くもって話の流れが解らない。
だが皮肉にも、状況は全部理解出来た。

抑制剤すら効かなくなる程の、巨大な発作。
言わば、最後の発作。
私の予測よりも遥かに早く、それが起こってしまったと言う事だ。

そして、彼女はそれをどうにかしようと、此処に来た。
傷だらけになりながらも、必死に、彼を助けようと。
その小さな背中に、彼を背負って、此処まで。

決して短い道のりじゃない、彼女らの家からは離れてるし、平坦な道じゃない。
段差があれば山の様な坂道もある。
大人ならともかく、子供が人を背負って行くには無茶がある。

何度も、何度も転んだだろう。
足も、手のひらも、ボロボロにして、血を流して。
綺麗な顔に、傷まで作って。

それだけじゃない。
その道中に、どんなに心が折れそうになった事か。
想像するに容易な表情が、そこにはあった。

それでも、彼女は歩いた。
ただ只管、彼を助けたい一心で。
もう、そう考えただけで、私の瞼は熱くなっていた。

だけど、今はその時じゃない。

「言われなくても助けるわよッ!!」

そう言い聞かせるよりも、早く。
私の身体は、動いていた。
冬の風に長々曝された所為もあるだろう、死人の様に冷たいディンの身体を担ぎ込んで、診療台へ運ぶ。
これで雨でも降ってたら、手遅れだったかも知れない。




「・・・施術、終わったわ」
それから15分。
施術、と言うより応急処置が終わった。

「ディンは・・・だいじょうぶなの・・・!?」
「・・・」

痛々しい姿で、痛々しい表情で、結果を問うルル。
それだけに、私の言葉は詰まった。
今の彼女に、言えるワケも無い。
応急処置以外に出来る事が、もう無いなどと。

呼吸器も付けた、点滴も入れた、ついでに転んだ時に出来たであろう傷の治療も終えた。
彼女の迅速な対応のおかげだろう、ディンは一命を取り留めた。

・・・だが、それだけだ。
これ以上、医者(わたし)に出来る事は無い。

―私の予測よりも早く、あの悪魔は成長し、彼の身体を蝕んでいた。

特効薬も無い、抑制剤もこれ以上は増やせない。
次の発作が来れば、もう終わりだ。
弱りきった彼の身体は、一気に食い尽くされる。
そう確信する程のおぞましさを、あの黒い斑点からは感じられた。

「・・・大丈夫よ、今は落ち着いて眠ってるだけ・・・明日には元気になるわ」
何が大丈夫なものか。
笑顔を作りながら嘘を付く自分を、責める。

本当のことを、言うべきだったんじゃないか?
そんな後悔が、直ぐに過ぎる。

「・・・よかった・・・」
しかし、心の底からの安堵の声を前にして、私はもう、何も言えなくなっていた。
罪悪感の様なモノが、胸を締め付ける。
だが同時に、コレで良かったのだ、と思ったのも事実だ。

今の彼女に真実を話したとして、幼い心がそれに耐えられる道理は、無い。
何より、遅かれ早かれ、知る事だ。
なら今は、休ませてやった方が良い。
例えそれで、私が噓吐きと言われようが。

「・・・頑張ったわね・・・あなたの手当てもしなきゃいけないから、座って」
今は何より、治療をする事が重要だ。
彼女の身体も、心も。
そう思う事にして、私は頭を切り替えた。
「・・・うん・・・おねがい、しま―」
その、矢先だ。

―どさっ。

言葉が途切れるのと同時。
ルルの影が、自分の横を過ぎった。
否、倒れたのだと、音で直ぐに理解した。

「ルルッ!?」
横たわる彼女を抱きかかえ、そう呼びかけるも、反応が無い。
完全に、意識を失っていた。
緊張の糸が切れたからか、体力を使い切ったからか。
どちらにせよ、良くない事態だ。

そう察した私は、直ぐに彼女の身体を持ち上げる。
そして、理解した。

「・・・嘘でしょ・・・!?」

だが、信じたくは無かった。
倒れた跡を残す様に地面にうっすらと色を残す、紅い液体。
それらが全部、彼女から出ているなどと。

おそるおそる、血が滲んだ彼女の服を脱がす。
そして、絶句した。
おおよそ少女に対して振るわれたとは思えない、酷い傷跡が、そこにはあったのだ。

外部的要因。
彼女が倒れた本当の理由は、それだけに尽きた。




『どうして?』
怯えた表情で、傷だらけの姿で彼女は聞いた。
当然の質問だった。
彼女はただ、道を訊いただけなのだから。

悪魔を助けている。
連中にとってはそれだけで十分だったのだろう。
悪魔を背負う彼女をも悪魔だと称し、石を投げ、ガラクタを投げ、暴力の末、彼女を坂から突き落とした。
『二人諸共死んでも良し』
そんな風に思ってやったのだろう、そこには殺意すら感じられた。

しかしその動機は、あって無い様な理不尽な理由。
悪魔など、この世に居やしないと言うのに。
・・・少なくとも、目に見える悪魔は。

私は彼女の質問に答える事が出来なかった。
その代わり、力一杯に彼女を抱きしめていた。

頬を伝う涙を、抑える事が出来なかった。
ただただ、申し訳が無くて。

『ごめんね』
としか言えなかった。

私が謝る事じゃないのは、解ってる。
でも、罪悪感だけが這いずり回っていて。

連中に真っ当な感覚なんて、期待しちゃいない。
私だって言わば、その一人だ。
時には理不尽を受け入れて、行使して。
どこかしら歪んでて、狂ってる。

それでも、人間である事だけは捨てちゃいなかった。

だからこそ、胸が痛い。
守るべき子供に、暴力を振るう大人が。
それ(大人)と同じ自分が、申し訳なくてたまらなかった。

『だいじょうぶ』
彼女はそう優しく返す。
口調通りの、優しい笑顔で。

何も大丈夫な筈が無いのに、そう答えて。
そのまま、彼女は床に就いた。

疲れたに決まってる。
身も心も、ボロボロで。
本当なら、泣きたい位の筈なのに。

本当、どこの誰に似たのか。
隣で眠る奴と並べて見て、私は思う。
まるで兄妹だ、と。




「―・・・!」

目が開いた先は、死後の世界やらではなかった。
ボロボロの石天井。
辛うじて白い色を保つそれが、俺の知る診療所のものである事を、俺は直ぐに理解した。

「痛っ・・・!」

起き上がろうとすると、激痛が襲う。
胸の痛みじゃない、所々の裂傷。
腕を見ると確かに、痛みがある箇所に対し包帯が巻かれていた。
経緯は解らないが、怪我をしたらしい。
倒れた際の場所を考えると、とても怪我をしそうには無かったのだが。

それも、倒れただけじゃ、背中には傷は付かない。
俺は、前のめりに倒れたのだから。

「目が覚めた?」

じゃあ、この怪我の量は?
そう思考を巡らせていた辺りで、聞き慣れた声が聞こえた。
まぁ当然だろう、あいつの家なんだから。
そんな事を思いつつ振り向く。
だが、その直後―。

「・・・ッ!?」

―驚きに、思わず声が漏れる。
何の冗談だ、とでも言いたかった。

「・・・ルル・・・!?」

居るはずの無いルルが、此処に居た。
それも、包帯だらけの姿で。
隣の患者用ベッドで、死んだ様に眠っていた。

何故?
そんな言葉だけが、真っ白になった頭に過ぎる。

言葉にするまでもなく、俺はフィシスの方へ視線を向けていた。
「・・・アンタを運んできて・・・それで・・・」
その意味を言われるまでもなく理解していただろう、フィシスは無表情で答える。
「え・・・―?」

自分でも思う程、らしくない声が出た。
お前まで面白くない冗談を、とでも言ってやりたかった。

確かに、あの場に居たのはルルだけ、ほかの人間は恐らくあの場所を知らない。
だから、俺を此処まで運べる可能性があるとすれば、それはルル以外に無い。

だが、ルルはこの場所を知らない。
・・・否、知っていたとしても、どうやって運ぶと言うのだ。
身長も体重も、大人と子供位の差があるんだぞ?
そんなもの―。

「―・・・嘘だ」

そう、悪い冗談だ。
あの場所まで此処から、どれだけの距離があると思っている。
それを、抱えて、ここまで?
いくらアンタでも、その冗談は性質が悪い。
そう言ってやりたい位だった。

だが、俺は確かに見た。
その表情が、脆くも崩れる様を。

「・・・本当、なのか?」

答えは、言うまでも無く。
俺はこの時点で、全てを理解した。

ルルが、俺を此処に運んだ事も。
その所為であんな怪我を重傷を負った事も。
その怪我の元が、どこから出たのかも。

理解したくなくとも、信じたくなくとも。
頭では、全て理解出来てしまった。
一番に恐れていた事が、その恐れていた当人。
つまり、俺の所為で起こってしまったのだ、と。

そう、解った瞬間。
ショックである以上に、怒りが湧き上がった。

『俺の所為だ』

今直ぐこの胸に爪を突き立てて、引き裂いてやりたい、そう思う程に。
己を、憎んだ。

「ッ・・・!!」
「ちょっと!?動いちゃダメ!アンタだって怪我してる!それ以前にまだ―」

フィシスの静止を聞きながらも、俺はその身体を止める事が出来なかった。
否、止めなかった。
衝動のままに、痛みに声を上げながら、点滴の針が取れるのも気にせず。
その身体を、起こした。

―ぐらっ

立った衝撃なのか、それともまだ身体が動けない状態なのか。
恐らくは両方の所為だろう、視界が揺れ・・・直後、崩れる。

「ディンっ!!」

それを即座に察したのだろう。
倒れる、そう思った直前、女とは思えない強い力で、フィシスが俺の身体を掴んでいた。
相変わらずのバカ力は、やはり痛い。

「馬鹿!・・・死にたいの!?」

冗談じゃないと言わんばかりの顔で、フィシスが怒鳴る。
医者としては当然の反応だ。
・・・いや、それだけじゃないだろう。
医者とは到底呼べない、感情丸出しの顔が、そこには在った。

だが、もう俺に迷いは無かった。
「・・・ルルを、頼む」
もうこれ以上誰も傷つけない方法を、思い付いてしまったから。

「!・・・アンタ・・・何を・・・」
「俺の家にあるものは全部やる・・・金品もそこそこ残ってる筈だ・・・だから」
「何を言ってるのかって訊いてるのよ・・・!」

両肩を掴むフィシスの力が、更に強くなる。
大きく揺れる両腕は、まるで耐える様だった。
立ち位置こそ違えど、それが何であるかを、俺はもう知ってる。

「・・・俺の命は、もう長くない・・・アンタも解ってる筈だ」
「!・・・」
「今のルルが俺の死を目の当たりにしたら・・・きっと、とても傷付く」
「・・・だから・・・?」
「・・・俺は『突然居なくなった』・・・そう伝えて欲しい・・・」

それが耐えられない事である事も、また。
「・・・見えない所で死んで・・・『後は頼む』って・・・?」
今にも泣き出しそうな顔を前に、罪悪感に駆られなから俺はゆっくりと頷く。

「・・・ふざけんな・・・!!」
「フィシス―」
「アンタはそれで良いかも知れない・・・でもルルの気持ちはどうなるのよ・・・突然に大事な人が居なくなったら・・・!?」
「・・・それは・・・」
「アタシの気持ちは・・・どうなるんだよ・・・ッ!?」

ああ、解ってるよ。
コレは、俺の我侭で。

だから、決めたんだ。
最後には、必ず謝ろうって。

「―・・・ごめん、フィシス姉さん」
「ッ・・・!」

震える両腕をそっとどけて、俺はフィシスから背を向ける。

「ディンッ!!」

全くらしくない、悲痛の叫びが響く。
だが、俺は構わず外に出た。
構ってはいけなかった。
振り向いたら、戻ってしまいそうな気がしたから。

どん、と何かが地面をつく音が聞こえた。
ああ、泣き崩れたんだ。
そう確信した。

思えば、最後まで泣かせてばかりだったな。
なんて、出来の悪い弟だったろう。
・・・でも、それもこれで本当に最後だ。

俺(悪魔)が死んだと解れば、連中ももうごっこ遊びなどやらないだろう。
最初はまだ残党狩りなどと言い出すかもしれない。
だが、それも少しの間だ。
フィシスがきっと、何とかしてくれる。

そうすれば、ルルも、フィシスも。
今よりずっと、平穏に暮らせる。
きっと、幸せになれる。

『そう、信じたいだけなんじゃないのか?』

どこかから、そんな言葉が聞こえた気がした。
それが自分の本心であると気付くのに、さして時間は掛からなかった。

ああ、その通りだ。
傷つけるのを見たくないから、耐えられないから。

『自己犠牲』なんてキレイ事を並べて、あの場所から逃げたんだ。




空を見上げると、星の点々に混じって、白い点々がゆらゆらと降り注いでいた。
星よりも随分と大きいそれは、雪。
年に一度見れるか見れないかのそれが、わざわざ今日に来るなんて。

やっぱり俺は今日、死ぬのだろうか。
そんな事を思って、小さく笑った。

・・・ああ、多分死ぬんだろうな。
小さく笑った、たったそれだけで激痛を伴う胸に、俺はそれを確信する。
今よりも一秒後、その更に一秒後に、どんどんと苦しさが増すのが解る。
耳を塞いでも聞こえるんじゃないか、そう思う程、心臓の音が高鳴っているのも。

手持ちの薬も無い。
今更戻る事も出来ない。

出来るのは、歩く事だけ。
痛苦に胸を押さえながらも、頭だけは冷静で。

『さて、どこで眠ろうか』

そんな風に考え、答えを導き出していた。
折角の綺麗な雪だ。
どうせ最期の雪見なら、ゆっくりと眺めたい。

どうかそれまで持ってくれ。
自分の身体にそう願い、俺はゆっくりと歩き始めた。

―・・・それから、いつもの倍ぐらいの時間を掛け、訪れたのは、あの小さな森。

「・・・死に場所にしては、少し出来過ぎてるな・・・」

すっかり雪化粧になった白い森は、まるで待っていたかの様に、誰の足跡もなくそこに在った。
幻想的な光景は、安易に浮かぶ死後の世界に良く似ていて。
誘われている、そんな風に思えた。

・・・否、実際に誘っているのかも知れない。
だとしたら、何とも恐ろしい場所だ。

とは言え、拒む理由も無い。
誘われるがままに、俺はその樹木に身体を委ねた。

ここまでの道中、一秒として止む事の無かった痛苦が、消えた。
感じなくなった、と言う方が正しいのだろう。
木にそんな効果があるとは思えない。

ただ・・・安心する。
まぁ、これは精神的な所にあるかも知れない。
だって、後は終わるだけなんだから。

空を見上げる。
夜はさっきより深くなり、星が良く見える。
落ちてくる雪は、星に似ていて。
星が落ちてきているんじゃないか、と言う錯覚すら覚える。

・・・しかし、ロマンに溢れた事を思う反面、現実的な自分は額に落ちてくる冷たい雫を理解していて。
やっぱり星は遠いんだと、直ぐに思い知らされる。

死んだら、少しは近づけるのだろうか。
ふと、そんな事を思う。
死んだら人は星になるだの、天国か地獄に行くだの、誰かが言った気がしたからだ。

出来れば、前者である事を願いたい。
もし後者で、あの場所を天国とするなら。
多分俺は、あの場所へはいけないから。

・・・空が、ぼやけてくる。
否、俺の瞼が重くなって来たのか。

ざっ、ざっ。

こころなしか、足音の様な幻聴まで聞こえてくる。

ざっ、ざっ。

『様な』じゃない、足音だ。
だんだんと大きくなるそれに、俺は確信する。

ざっ、ざっ。

だとして、コレは誰の足音だろうか。
此処に人が来る事は無い、だからこそ此処に来たのだから。

ざっ、ざっ。

死神の足音、とでも言うのだろうか。
俺の瞼がどんどんと重くなるのに合わせて、それはどんどん近くなる。

ざっ、ざっ、ざっ。

この目を閉じた時・・・足音が聞こえなくなった時。
俺は死ぬのだろうか。

もう、四肢の感覚が無い。
動かそうとしても、動かない。
辛うじて残ったのは、寄り掛かった木の感触を伝う、背中の感覚。
後は、頭か。

ざっ、ざっ、ざっ。

だが、それももう消えかかっている。
視界はもう半分も無い、意識も朦朧としている。
耳に入るのは、死神の足音だけ。

ああ、死ぬんだ。
予感から確信に変わったのは、この時だ。

だが、恐れは無い。
もう思い残す事も、無い。
後はもう、受け入れるだけだ。

死神の鎌を。
延々と続く、この暗闇を。

ざっ。
死神の足音が、止まる。

もう、僅かな光しか差し込まない。
走馬灯なんか、流れやしなかった。

『終わるんだ』

そう、思った時。

真っ黒で何も見えない頭の中に、突如としてルルの顔が映った。
泣いているその表情(カオ)は、まるで俺の死を嘆いている様で。

『ごめんな』

そう、声にならない言葉を呟いていた。

―・・・っ!

その時だ。
もう何も聞こえない筈の耳が、何かを聴いていた。
足音とは、明らかに違う。

『では、何だ?』
眠りかけた頭を叩き起こして、思考を巡らせ始めた。
その、直後。

死んでいた筈の片腕に、何かの感触が走るのを、俺は確かに感じた。

・・・まだ、死んでいない。
あえて言うなら、起こされた、が正しいだろう。

『だが、この感触は?』
そう思ったのが、間違いだった。

気付いてしまった。
微かに聞こえた音の正体が、俺を呼ぶ『声』である事と。
その腕が、『誰か』の手によって握られていると言う事。

『では、誰が』
その答えは、もう出ていた。
出来れば考えたくない、最悪の答え。
だが、俺の記憶は覚えていた。

この冷え切った腕よりも、冷たい手を。
軽すぎる、この身体を。

「―・・・!!」
うっすらと開く視界には、確かにルルが居た。
それも、暗闇の中で見たそれと、同じ顔で。

「ディン・・・よかった・・・っ!」
恐らくは、もう俺が目を開けないと思ったのだろう。
視線が合った時、その表情は安堵へと変わった。

しかし、それが今だけのモノである事を、俺は知っていた。
起こされなければ、俺はもう眠っていた。
それが少し伸びただけなんだ。

だから、俺の中にあったのは、再会出来た喜びよりも。
『何故来てしまった』
という疑問の方が大きくて。

「・・・戻るんだ・・・ルル・・・!」
辛うじて出た声は、彼女を拒否するものに他ならなかった。

本当なら・・・笑って、喜びたい。
でも、駄目なんだ。
そんな姿のお前を見たら。

「うん・・・いっしょにもどろ・・・?」

眠っていた時と変わらないその姿は、彼女の傷が治ってなどいない事を、何より現していた。
当然だ、俺があの場所を出てから、数えても2時間程度しか経っていない。
人の傷は、そんな簡単に治らない。
彼女程の傷なら、尚更。
こんな短時間では、起き上がってもいけない筈だ。

だが、彼女は此処に居る。
恐らくは、診療所から抜け出して。
痛みに堪えながら、その身体を引き摺って。
もう死んでいるかもしれない、そんな不安に駆られながら。
俺を、探していた。

だから、こんなにも笑ってる。
そう理解したら、もう駄目だった。

「・・・ごめんな・・・ルル・・・」

辛うじて動く口で、俺はそう謝罪していた。
生き返った片腕で、ルルを抱きしめる。

「なんでディンがあやまるの・・・?」

謝る以外に何が出来るんだ、そう声にならない叫びを上げながら、俺は目から溢れる水を止める事が出来なかった。
俺の所為で、こんなにも傷付いて。
俺の所為で―

「ディンはなにもわるくないよ・・・だいじょうぶだから・・・」
そんな俺に、ルルは子を慰めるかの様にそう言って、抱擁を返す。
耳元から聞こえるその言葉は、弱々しく、今にも消えてしまいそうで。
その呼吸は、辛そうなものになっていた。

―その後ろ。

彼女が歩いてきた足跡に、俺は見てしまっていた。
僅かに見えた、雪の白に混じった・・・赤。

それを血だと理解するのに、時間は要らなかった。

辛くない、筈が無い。
包帯からは血が滲み、抱きしめた腕の先、背中に着けた手からは、水や汗とは明らかに違う、血の感触。
傷口が、開いてしまっているのだ。

「だいじょうぶだから・・・いっしょに・・・もどろ・・・?」

その言葉とは反対に、声はどんどんと小さくなり、身体から力は抜けていく。
激痛と、出血。
その中で此処まで歩いてきた彼女の体力は、限界に達していた。

・・・否、或いはもう、限界など過ぎてしまっているのかも知れない。
それでも、ただ一心で此処まで来たのだと、そう理解せざるを得なかった。

「・・・ルル・・・!」

このままでは、いけない。
力を振り絞る様に、俺は名前を呼ぶ。

戻るんだ、戻ってくれ、生きてくれ。
そんな、もう何度思ったかも解らない、願いを込めて。

だが―
「―・・・」
ルルは、小さく首を横に振って、笑う。

そして、ゆっくりと抱擁を外し、その身体を横にして、頭を俺の膝の上に置いた。
所謂、膝枕の状態だ。

「・・・ルル・・・?」
どうした、と俺は枯れそうな声で問う。
その意味を、何となく解りながら。

「・・・すこし・・・ねむくなってきちゃった・・・」

・・・ああ、頑張ったもんな。
声にならない言葉で、俺は答える。

本当なら、声に出したかったけれど。
もう、そんな力は残っていなかった。

「すこしやすんでも・・・いい?」
眠そうな声で、彼女は問う。
「・・・ああ」
俺がそう答えると、嬉しそうに笑う。

「そしたら・・・いっしょにもどろ・・・」
「・・・ああ」
俺も笑って、答えた。
その眠りから、もう覚める事が無いのを、知りながら。
彼女の頭を撫でて、眠りを促した。

「・・・あしたは・・・わたしがあさごはんつくるから・・・」
「・・・ああ」

少しずつ、少しずつ。
彼女の鼓動が、小さくなっていく。

「そしたら・・・またいっしょに・・・」
「・・・ああ・・・」

目から光が、薄れていく。
声も、掠れていく。

「・・・いっしょ・・・だよ・・・」
「・・・ああ・・・」

ぽた、と雫が彼女の頬に落ちる。
それは頬を伝って、雪へと落ちて、消えていく。
まるで、彼女が泣いてるみたいだった。

でも、それは紛れも無く、俺の涙で。

彼女が終わるのを、解ってた。

「―・・・おやすみ・・・なさい・・・」

幸せそうに微笑んで、そう小さく挨拶をした後。
ルルはそのまま、目を開けなくなった。

「・・・ルル・・・?」

だらりと落ちる、両腕。
もう動かない、心臓の音。
絶望の色しか無い、その中で。

彼女の表情は、本当に、幸せそうだった。
また明日がある、そう信じて止まない様で。

明日には起きるんじゃないかって、こっちも信じてしまいそうだった。

その明日は、俺が奪ってしまったのに。

『なのに、どうして』

俺の心は、こんなにも穏やかなのだろうか。

本当なら、憎くて仕方ない筈なのに。
後悔ばかりを、言っていた筈なのに。

どうしてこんなにも、安堵しているのだろう。

消えかけた意識の中で、俺は自分に問い掛ける。

しかし、答えは捜すまでも無く、目の前にあって。
直ぐに、解った。

暗闇に飲み込まれる、瞬間。
『俺は、一人で死ぬんだ』
そう思った。

思ったら、途端に怖くなった。
誰か、誰か来てくれって思った。

その時、ルルの顔が、浮かんだ。
そして、ルルが来てくれた。
戸惑う反面、俺はその時・・・どこかで、安心していたんだ。

『いっしょに』

そうじゃないって、解ったから。
暗闇の中でも、手を繋いでいる。
一人じゃ、無いんだって。

だから、こんなにも心穏やかに、眠りにつける。

「おやすみ・・・ルル・・・」

ルルにだけ聞こえそうな程、小さな声で、そう言って。

俺は、ゆっくりと瞳を閉じて。

暗闇に、身を委ねた。

もう、悪い夢を見る事も無いだろう。

こんな気持ちで、眠れるのだから。


~ルル~ はじまりの物語 ED

―・・・気付けば、辺りは朝だった。

あの後、椅子に座ったまま寝てしまったらしい。
確かに、昨日は夜遅くまで頑張りすぎた。
未だに眠気が取れない。

・・・とは言え、ゆっくりもしてられない。
今日も、やらなければいけない事が多い。
特に、あいつの顔を殴ると言う重要な仕事が。
そんな事を思いながら、重い身体を起こす。

―ばさっ。

その時だ。
背中に何かが擦れる感覚を得るのと同時、音を立ててそれは落ちた。
即座に目をやると、そこには予想通りのモノ、毛布が落ちていた。

・・・ああ、だから大丈夫だったのか。
そう、思うと同時、疑問が起こる。
『私がいつ、自分に毛布を掛けた?』

彼女の様子を見ていた、その途中で寝てしまったとなると、毛布など掛けている余裕は無い。
寝相で掛けた、などはありえないし、掛けたらしき記憶も見当たらない。

となれば、掛けたのは当然、他者と言う事になる。
では、誰が?と言うのが次の疑問だ。
この中で、容疑者は一人しかいない。
そんな事をするどころか、起きる事すら出来ない筈の容疑者が―

「―・・・ルル・・・?」

―居なかった。
視線の先、目の前の患者用のベッドで眠っている筈のあの子が、そこには居なかった。

『まさか』

その時点で嫌な予感を過ぎらせながら、私は診療所の入り口の方へ視線を変える。

ドアは、小さく開いていた。

私は、直ぐに確信する。

その行き先と、その先の結末を。

――

漁る事すら無意味に見える程、腐り、錆びた、この世界からも『無価値』の烙印を押され、見捨てられた、屑の山々
その中心に、それはあった。

まるでそこだけ、どこからか切り取って来たかの様に広がる、白銀の大地、黄色い花も白い化粧をする、白い草原。
そして何より目に映るのは、氷の張った小さな湖、それを見守る様に立つ、白髪頭の木。

人一人の視界に納まるだけの、小さな場所。
雪化粧で随分変わって見えるものの、見間違え様は無い。
相変わらず、この世界においては異質で、広大で、美しい。
私が見惚れ、秘密の子庭と勝手に名付けた場所だ。

懐かしさがこみ上げる。
昔は、良くあの子を連れて此処へ着ていたものだ。

余り来ない様にしていただけに、何年ぶりになるだろう。
こんなカタチで来る事になるなんて、思っても居なかったけれど。

「―・・・そんな所で寝てると、風邪引くよ・・・」

―思った通り、二人はそこに居た。

ディンは木に寄り掛かる形で。
ルルは、ディンの膝を枕に。
二人とも、気持ちよさそうに眠っていた。

雪が身体に少しだけ積もってるのが、また白い布団みたいで。
だから、眠っているだけに見えたんだ。

確かめる様に、二人の頬に手を伸ばす。
氷みたいに、冷たかった。

触らなくても、解るって言うのに。

何度も、何度も。
その頬に、手に、触れた。

でも、その冷たさは、現実で。
二人の目が覚める事が無いのを、私は直ぐに理解した。

「・・・結局、ツケの一つも返さなかったわね・・・」

こんな可愛い子まで、巻き込んで。
本当に、出来の悪い弟だよ、アンタは。

ここで目が覚めていたのなら、昨日の件も含めて、一発殴ってやったのに。
そんな顔じゃ、撫でるしか出来ないじゃないか。

呆れた笑いを浮かべながら、幸せそうな弟の頭を、撫でる。
最近じゃ、こうさせてくれなかったから。

・・・代わりに、ルルはたくさん撫でてたけどさ。
そんな事を思いつつ、彼女の頭も忘れずに撫でる。

こっちも、何とも幸せそうな顔をしていて。
きっとあそこで寝ていたままだったら、こんな顔は出来なかったかも知れない。
そんな事を思って、少しだけ嫉妬した。

でも、結果・・・二人は戻ってこなかった。

もし私があの時、力尽くでもアンタを止めていたら・・・こんな風にはならなかったのかな。
誰に聞くまでも無く、私は空へ仰いだ。

答えが返って来る訳は・・・無い。
返って来たとしても、それはもうif(イフ)でしかなくて。

だからやめよう、そんな話。

今は、頬に伝うこの水の源を止めて―。

「―・・・いってらっしゃい・・・」

駄目で可愛げの無い奴だったけど、それはそれで可愛かった、私の弟へ。
短い間だったけど、沢山の笑顔をくれた、可愛い妹へ。

こんな汚い世界で。
何よりも綺麗な世界を見せてくれた二人へ。

ありがとう。

おやすみ。

冷たい二人の手をぎゅっと握って。

祈る様に、言葉を贈った。

――END
プロフィール

天野幸音

Author:天野幸音
ようこそ、野良猫の溜まり場へ。
お茶もお洒落な音楽も無いけれど、ちょっと変わった物語がここにはあります。

・・・多分?

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